Honjo Sightseeing Association

歴史

はじめに

「鎮守様のお祭り」として親しまれてきた金鑚神社のお祭りは現在では、毎年11月2日・3日に行っています。 旧本庄の各町内では、明治時代からこのお祭りの附祭りとして山車を参加させて曳き廻しました。幼い子供達は「ウッチャン・チャン」と山車の事を呼んでいました。囃子の演目の中の「おうま」と言う演目を叩くと、その様に聞こえるからです。
神社の神事は別として附祭りについては、その時代その時代によって移り変わっています。 太平洋戦争前までは山車を出す出さぬと若者達と旦那衆との間で議論が、度々交わされた様です。 それでも鎮守様の祭りと言う事で町内の意見がまとまり、祭りを実施して氏子としての意識を持ち町内融和を図ってきました。

祭日

金鑚神社(祭神は天照皇大神・素盞嗚尊・日本武尊)は、武蔵七党の属する児玉党の支族が各々の居舘に勧請したものであり、本庄宿の金鑚神社は本庄氏が勧請した神社です。
江戸時代は「おくんち」と言って9月29日が祭日でした。現在の様に11月3日になったのは明治7年頃からと思われます。明治5年に太陽暦を採用した為に、陰暦の9月29日に近い吉日であった天長節(明治天皇のご誕生、後の明治節、戦後は文化の日)の日を選んだものと考えられます。

神輿と山車

祭礼日の前日、2日に夜宮(宵宮)があります。 前夜祭とも言う祭りが滞りなく行われ様に祈願します。 3日の早朝、午前零時を期して大太鼓を「ドン・ドン・カッ・カッ・カ」「ドン・ドン・ドン・カッ・カ・カ・カ」と叩いて神輿が渡御する道順を触れ回われ事を「お触れ太鼓」と言っています。
3日は献幣使参同のもと、御例祭本儀が執り行われ、その後、神霊代を本殿より神輿に移し御神幸祭として町内を渡御を行います。渡御で使用する神輿は宝暦11年に氏子が大坂の細工人に依頼し新調されて、渡御が始められたと伝えられていきす。当初は中山道を下り、台町の御旅所までを往復していましたが町内が増えるにつれ御旅所や道順も増やしました。山車は「鎮守様のお祭り」と親しまれている祭りに明治初期に旦那衆が江戸文化を取入れ附祭りとして参加しました。山車は神輿のお供をして行列に加わった訳ですが、本来は神輿が主役で山車は神輿のお供としての「わき役」であります。

本庄市観光協会